思い込み(Berief)へのアプローチについて

(その2)で述べたとおり、人間の思考は非常に自動的で受動的なものですが、このことに着目する概念として「ビリーフ(berief)」という言葉があります。

過去に形成された何らかの思い込みや信念体系(belief)が、ある局面で「〜ねばならない」のように非合理なものとして働くとき、そのビリーフは「非合理的ビリーフ」と呼ばれます。

典型的な例では、自力で実績を上げてきたセールスマンがマネージャーになったときに部下のマネジメントで苦しむパターンなどが上げられます。

マネージャーが部下に任せられない、部下を育成できないという現象。その裏には「自分が結果を残すことで、自分の力を示さなければならない」「そうしなければ部下の信頼を得られない)」といった非合理的ビリーフが見え隠れします。

非合理的ビリーフへのアプローチの妥当性とリスク

現代哲学」のページで少し述べたとおり、私たちは世界を言葉で写し取って理解しています。

例えば、目の前に水があっても「水」という概念を知らなければ目の前の水を認識することができません。世界は言葉でできており、過去の人生において理解してきた言葉の総体がその人の「世界」です。

そういう意味では、人間の思考というのはすべて「思い込み」とも言えます。

ですので「非合理的ビリーフ」へのアプローチは、ある一面において非常に効果的な側面を持っています。そして、それは人の意識の普段顕在化されていないところにアクセスするため、時に劇的に人のあり方を変えていくことから、実践者は「非合理的ビリーフ」へのアプローチは「非常に強力なメソッドである」と認識するようになります。

しかしながら、このアプローチの最大の問題点は「終わりがない」ということ。

これが行きすぎると、人はすべての問題の原因を自分(達)の思い込みで整理しようとしてしていきます。そして、その作業には終着点がありません。

「人間」とは何か?

世界は言葉で出来ているということは、私達「人間」さえも言葉で出来ています。フロイトの精神分析学を構造主義的に発展させたジャック・ラカンは無意識さえも言葉によって構造化されていることを明らかにしました。

私達の自己認識や考え方、世界の認識の仕方は、過去生きてきた中で他者(=社会)によって埋め込まれた言葉の意味づけそのものであり、そこにオリジナルなものはありません。

故に「人間」とは、過去に接してきた「言葉」という記号の集合体です。

ですので、「思い込み」を外して、圧縮ファイルを解凍するようにプログラミングを「デ・コード」していくという作業は、手法としては核心を突いているのですが、「それを突き詰めてもどこにもたどり着かない」というパラドックスをも同時に孕んでいます。

タマネギの皮

このように「論理的に正しい」アプローチが、結果として正しくない帰結を生むということはよくあります。これは論理自体がもともと曖昧で不完全であることが原因です(現代哲学を学ぶとよくわかります)

実践者はクライアントの「思い込み」を扱う際、一枚一枚、その人の表層にある思い込みを外して核心に近づいているような感覚を覚えます。クライアントは実践者の関わりに応え、内省し、心の奥にある大事なことを少しずつ語ってくれるからです。

でも、それは実はタマネギの皮をむいているようなもので、その先に「芯」(=真実)のようなものはありません。

むしろ、そうした「良い・悪い」や「軽い・重い」「表層・深層」といった実践者側の判断は手放し、単にクライアントの中にある言語という「記号」が単に書き換わっているだけ、というかたちで突き放して捉えた方が世界の構造にかなっていると言えます。

立場を替えると、実践者のやることとは、

  • ただ単にその人の中に刻み込まれた言語(=記号)を読み解き、
  • 現状という「記号」に対して機能していない部分をクライアントとともに明らかにし、
  • ゴールという別の「記号」に向けて、その人がよりよく機能するように記号を組み替えるお手伝いをする、

ぐらいの感覚の方が世界の構造にかなっていると言えるでしょう。

「その3」まとめ

以上、「非合理的ビリーフ」へのアプローチも、ほどほどにしておかないと「底なし沼」にはまりますよ、というお話でした。

そういうの、よく見るんですよね。。。

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