「コンテンツ」について

ここまでのお話をまとめていきたいと思います。

世界は言葉でできており、人は言葉によって世界を切り出し、創作します。このことは「【電子書籍】メタ・リーダーシップ入門」に詳しくまとめていますので是非ご参照ください。

人材開発においても、現状、様々なコンテンツが存在しており、雨後のタケノコのように次から次へと出てきます。特に、この情報化が進んだ現代資本主義においては、他との差異が重要であり、コンテンツは様々な切り口から語られることでしょう。

私もこれまでは「コーチ」というアイデンティティで活動して参りましたが、そもそもコーチングの源流には心理学、そして心理学の源流には哲学があります。

「コーチング」はいくら背伸びをしても大きな流れの中の一つの支流のそのまた一つの水路に過ぎません。それにもかかわらず、コーチングの現場に居るものはコーチングの視点のみで物事を見てしまう。

同様に、様々なコンテンツにおいても、それはある側面から編集し、切り出してものであり、それぞれが一つの「辺境」でしかないにもかかわらず、それを学び深く信奉している者はそのコンテンツにこだわり、世界が見えなくなっていく。コンテンツと自己同一化して他者との関係性が構築できなくなっていく。

これこそが実践者がもっとも戒めるべき在り方であると考えます。

囚われないこと、使うこと、疑うこと

ここまで様々な物事を批評してきた真意はまさにここにあります。

本当に相手の役に立とうとすれば、また、本当にコンテンツを現場で機能させようとすれば、まずはすべての物事を突き放し、疑う姿勢を持たなければならない。

コンテンツの編集者はあまたの入り組んだ情報の中から何かしらの構造を見いだし、多くの背景を削り落として「コンテンツ」を編集していきます。したがってコンテンツは極限まで精製され、ブレンドされた加工食品のようなもの。

その中に居ては「縮小解釈」しかできず、世界は閉じていくばかりです。

何かを学習する際には、悟った人(=コンテンツ制作者/提供者)の教えを「正しく学ぼう」とする東洋哲学的態度ではなく、提供されるコンテンツを疑い、否定し、解体し、そして一つ上、二つ上の視点から再構成して理解(メタ認知)する西洋哲学的態度で臨む必要があります。

そのような懐疑/解体と再構築のプロセスを経て、すべての学問の源流である「哲学」を頂点とし、様々な学問やコンテンツが統合的に理解されているからこそ、クライアントの複雑な状況に対して適切な視点から適切な関わりができる。

知識を消費する側に立つのではなく、自身の実践を踏まえて知識を再定義し、新たな切り口から生産する側に立つこと。これこそが私たちに必要な姿勢であり、西洋現代哲学はそのヒントをふんだんに与えてくれます。

「相手に合わせて関わる」ということ

仏教において「対機説法」という言葉があります。相手の能力や素養に応じて説法をするという言葉です。

私たちは説法を説く身ではありませんが、現場ではクライアント自身の思考の抽象度や直面する問題の質、深刻さ、相手のエネルギーの状態など、コンディションは本当に様々です。

「コーチ」とはそのような「人間」を相手にして対話をしながら相手が答えを作り出すことを支援して行く立場、本来であれば視点が高くなければ務まるはずはない職業のはずです。その最低限の「たしなみ」として、実践者は自らのコンテンツを誰よりも徹底的に疑い、日々それを乗り越える努力を重ねておく必要があるでしょう。

繰り返しになりますが、そのヒントや思考の方法論は「西洋現代哲学」の中にたっぷりと隠されています。

次の10年

以上をもちまして、これまでの10年間、私が自身の活動の核としてきた「コーチング」という手法の総括を一旦終えることといたします。これによりコーチング及びその周辺のコンテンツは私にとっては「古典」となります。

これからの10年は「コーチ」というアイデンティティを超え、「教育者」として、西洋現代哲学の世界を通じて我が国ビジネスパーソンの思考の質を上げる社会人学習のためのコンテンツの提供と学習の場づくり、及び啓蒙活動に携わって参ります。

引き続き、ご関心のほどよろしくお願い申し上げます。

令和元年5月31日 山田 亨