「言葉」を替えれば世界は変わるが…

さて「世界」は言葉で出来ているので、物の見方が変われば「世界」は変わります。私達は厳しい時・苦難の時でも、前向きに考えることが出来れば、それを乗り越えられるよう、また、歩き出していけます。

でもね、これは簡単にはいかなのですよ。

無理矢理にポジティブシンキングをしても「心」はついてこないですし、アファメーションをしても一時のカタルシスはあるかもしれませんが、なかなか継続的な行動にはつながりません。

簡単でない理由

理由は明白で、構造主義以降の哲学では、人は社会が無意識的に規定する「構造」に縛られ、自由に考え・行動することが出来ないことが明らかにされているからです。

いわば、社会自体が自分の中に「めり込んでいる」状態。

自分の意識の根底をかたちづくっている「社会」という枠の中でうわべだけ考えを変えようしても、気づかぬうちにその枠に支配されています。

実際、現場でお話を聞かせていただく際、一見、非合理的に見えるクライアントさんの思考であっても「なるほど、そういう背景、あなたにそのように考えさえていたのですね」とびっくりするようなつながりを発見することがあります。

いずれにしても、自分であっても他人であっても、人を考えさせ、行動させる「構造」が見えない限りは「考え方」自体も変える事はできません。

苦難の時に変えられるもの

さて、今日はここからが本題です。

先日こんなお話を聞きましてね、「なるほど!」と思ったので少し紹介させていただきます。

そのかた曰く、

『苦しい状況は変えられないが、その時に聴く音楽は変えられる』

とのこと。

あぁ、、、そうですね。本当にそのとおり。

慰めや勇気づけの言葉は心に響かなったとしても、それが音楽になると伝わってくるものがある。それがどんなクサい言葉であったとしても。

そして、これは音楽だけじゃなく、芸術すべてに当てはまるのではないかと僕は思うのです。

「文豪」の芸術観

夏目漱石も『草枕』の冒頭で主人公に語らせていますね。

『智に働けば角が立つ、情に棹させば流される、意地を通せば窮屈だ、とかく人の世は住みにくい』

『住みにくさが高じると、安いところへ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟ったとき、詩が生まれて、絵ができる。』

『あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊い。』

受け取るときに心したいこと。

意を尽くした千の言葉よりも、一つのリズム、一つのフレーズの方が、その人が捉われていた感情を解き放ち、カタルシスを得て、その人の内面的な言葉の世界を組み替えていく原動力となることがあります。

一言で言うと「癒される」ということ。

でも、「癒し」にもいろいろあって、リーダーの「癒し」とはほっとするような安心感ではなく、「苦痛」と「快楽」、「怖れ」と「勇気」といった相反する感情が入り交じった複雑な感覚。

私達が心したいのは、それは、言葉の世界で戦っているからこそより深く受け取れるものだということ。

なぜならば、その「作品」を作った芸術の士たちは極限まで「言葉」と格闘したFighterなのですから。

最後にヘミングウェイが言ったとされる言葉を一つ。

『書くということに特別なことは何もない。ただ、タイプライターの前に座って血を流すだけだ』

さて、あなたが苦しいとき、触れたくなるアートはなんですか?