そういえば、年々心に響いてくる言葉として「半径50mの人生」というフレーズがあります。
とある経営者リーダー養成機関で語られる言葉。
それなりに出世している人でも、視界が狭くて、自分の周りのことだけしか目に入っていない生き方を指し「目覚めよ」と魂をノックする警句です。
おそらく、みんなそのような人生は嫌だと思っているし、これからの時代はリスクだとも思っている。特に若い人達は。
過去には僕自身も朝焼けに染まりつつある職場からの帰路で「この人生いつまで続くんやろう?」と思っていたのは正直なところです。
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でも、こうして独立して12年。
おかげさまで、いろいろな方とのご縁をいただき思うのですけど、その人が生きる半径に「組織人かそうでないか」ということはあまり関係ないようにも思えてきました。
独立していても半径が小さい場合もあるし、会社勤めでもものすごく半径が大きい人も居る。
以前、誰かが言ってたけど「思考が自由であるかどうか」ということにつきるんだろうと思います。
僕たちは学校教育で散々痛めつけられているので、「思考」というと「難しいこと」と直結してしまうのだけれど、「難しいことを考えられるか」がポイントではありません。
大事なのは思考が自由であるかどうか。
言い換えると、どれだけ枠にはまらず思考できるかということが、その人の人生の半径を決めていくように思います。
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思い返すと2年ほど前でしょうか、ある経営者さんの言葉が天啓のように僕の心に入ってきました。
「哲学のご縁だったらいくらでも力になるわよ」
あぁ、ありがたい言葉だなと思いました。同時に、とてもわかっていただいているなとも感じました。
多くの人が気づいていないことですが、思考が自由になったと感じるとき、人が最後に囚われるものがあります。
それは「目的」。
もちろん、目的を持って生きることはとても大事ですが、目的に囚われすぎてしまうと、人の思考はどこかで限界がきます。
人は善きものにこそ囚われる。
むすんでひらいて。
握りしめすぎた目的をいったん開いていただくのも僕の仕事。景色を変えて、また握りしめていくとパフォーマンスの次元は上がります。
そして、どの世界でも、最終的に見られるのは「人」です。
卓越した人はスキルや能力では無く、最終的には「人」を見ている。
この経営者の言葉は、
「「思考に限界をつくらない」というスタンスを持つ人であれば信じる」
という、この方自身が体を張って生き抜いてきた経験を通じて得た「人を見る目」の表れなのではないかなと感じました。
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思考が自由であれば、生きる半径はどこまでも広がります。
ところで、ここまでのお話、半径といわれて「円」の面積(平面)を連想した人はどのくらいいいらっしゃいますでしょうか?
もしかしたら、半径=円と連想してしまう方は、まだまだ思考が自由ではないかもしれません。
というのも、半径からは「球」の体積を求めることもできるから。
人の生は、面積を広げるだけでは無く、高さ(次元)を変えるということも可能ですし、(高さに優劣は無く)いろいろな次元にいらっしゃる方とつながることができれば、また、そこから学び成長することができます。
世の中、いろんな職種、いろんな階層、いろんなマインドを持った人達がいます。
もちろん、スタート地点は人それぞれですが、それぞれの目先の目的を超えて「知性を磨く」という点に共感していただいた人達のつながりはステキな「球体」になるんじゃないかなと思っています。
生きる半径を広げ、人生を「平面」ではなく「立体」にしてゆかれる人が増えれば良いなと思いますし、そのような人のご縁とつながりを紡いでいけたらと思っています。
<2025/1/29 facebook post>