今日は「知」にまつわるジェンダー論のお話し。
私見ですので、一つの物語としてお受け取りください。
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歴史上、西洋の哲学者はほとんど男性です。
哲学塾のメンバーの方からも
「なぜそうなのか?」
と問われたこともありますが、今思うと「哲学をする」という点では、男性の方が向いているのかもしれないなと思います。
なぜなら、哲学そのものは、これまでの常識を壊して、また、新たな理論を打ち立ててという、結構マッチョな領域だからです。
一方、私自身が哲学をお伝えしてきた経験を踏まえると「哲学を使う」という点においては女性の方がはるかに勇敢です。
実際、哲学塾|The Art of Philosophiaでも、女性のメンバーさんはかなりいらっしゃいますし、多くの方が意識と現実の変容を遂げられています。
もちろん、これは単純な「男女」の話で語られるものではなく、男性の中でも女性性が強い人間も多いですし、女性の中でも男性性が強い人間も多いです。
そして、性自認自体が体と異なる方もよくお見かけするようになりました。
ですので、この文章の中の男性、女性は「男性性」「女性性」と捉えていただくのがよいかもしれませんね。
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本題に戻ります。
「哲学をするのは男性の方が得意」
「哲学を使うのは女性の方が得意」
この差はどこから生まれるのでしょうか。
私は、おそらく「知」というものとのふれあい方が全く異なっていることに原因があるような気がしています。
ここからはイメージとなりますが、男性が知にふれあうとき、それは、たぶん「筋トレ」です。
筋繊維を壊して超回復して、より、デカくて強い体を作っていくのと同じニュアンス。
よりハードな負荷をかけて自らを破壊し、より堅牢な論理体系を構築しようとしてきたのが西洋の近代であり、哲学の世界です。
それは、厳しい鍛錬の末に美しい肉体をつくり出し自らの完全性を愛でる「ナルシズム」と同じ種類のもの。
注1)決して筋トレをdisってません。
注2)僕も体を鍛えています。
注3)体を支える、代謝を保つ、あと、ホルモンバランスなどの点においても筋肉、とても大事です。
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一方、女性が知にふれあうとき、それは、たぶんヨガの様なものとなります。
心身の囚われを排し、本当の自分に還り、自らの心を見つめ、周囲に愛を与えていけるような人になるための方便。
女性に対しては、哲学はそのように働きます。
もう一歩踏み込んでいうと、女性は直感的に答えを知っている。
でも、世の中の常識や人間関係、経済の流れに巻き込まれたとき
それが曇ってしまう。
いわゆる、日本の創世神話にある「岩戸」が閉まっている状態です。
そうした状態から、女神として目覚めて世界を照らすために、哲学はとても大事な方便だなと思うのです。
このはなし、まだつづきますが長くなるので一旦ここまで。
是非、双方向でやりとりできたらと思いますので感想なども是非お寄せくださいね。
(2025年3月29日 メールマガジン記事より)