教養なんて自分には関係ない
そう思ったあなたは、きっと正しい。
少なくとも、学校で習ったような「教養」は、確かにあなたには関係ないかもしれない。
暗記した年号も、覚えさせられた古典の一節も、試験のために詰め込んだ哲学者の名前も…
それらは確かに、今のあなたの人生には何の役にも立たない。
でも、ちょっと待って。
もし、あなたがこれまで仕事で成果を上げてきたなら。
人間関係で悩み、解決策を見つけてきたなら。
人生の選択で迷い、何らかの決断を下してきたなら。
実は、あなたはすでに「哲学」をしている。
ただ、それを「哲学」と呼んでいなかっただけだ。そして、もっと効率的にやる方法があることを、知らなかっただけだ。

哲学者の「公式」を借りて生きる贅沢
ぜひ、知ってほしいことがあるんです。
それは、2500年分の天才たちの思考パターンが、あなたの武器になるということ。
考えてもみてください。
古代からの偉大な哲学者達、プラトンもアリストテレスも、カントもニーチェも、彼らは人生をかけて「どう生きるべきか」「どう判断すべきか」という問いと格闘してきました。
もちろん、その格闘の過程は僕らみたいな凡人には到底理解できるようなものではありませんが、その果実は結構シンプルなんです。
それは、思考の型、判断の基準、決断の公式といっていいもの。
こうした宝の山を僕たちは自由につかっていいんです。
いや、使わない手はない。使わないともったいない。
理解するな、まず使え。
これが、私が推奨している非教養人が教養に触れようとする際のモットーです。
安心してください。効果は後からついてくるから。
朝のコーヒーを飲みながら、今日一日の優先順位を決める時。
部下の査定で悩んでいる時。
人生の重要な選択を迫られている時。
そんな瞬間に、哲学者たちが残してくれた「思考の道具」を取り出して使ってみる。
難解な哲学書を読む必要はありません。
大学で哲学を専攻する必要もまったくありません。
むしろ、私たち凡人は迷いが深まるだけですから、そんなことはしてはいけません。
ただ、先人たちの知恵を「道具」として日常に取り入れてみる。それだけで、あなたの判断の質は驚くほど変わります。
生活に潤いをもたらす知的な贅沢
言い換えると、これは「知的な贅沢」です。
2500年分の人類の叡智を、現代に生きる私たちは自由に使える。
朝のスキンケアをするように、上質な装いを身にまとうように、哲学者たちの思考パターンを日常に取り入れればいい。
仕組みを理解する必要はない。
ただ使って、その効果を実感すればいい。
普通なら「楽して手に入るものに価値はない」と思われがちだが、哲学だと「使うだけで格調高い思考が身につく」という不思議な現象が起こります。
そして、美しい変化が起こり始める。
哲学・教養を使うことで起こる具体的な変化
以下、想定される幾つかの変化を並べてみましょう。あなたは、どのような変化があれば「意味があった」と思いますか?
感情的にならなくなる
会議で発言する時、以前なら感情的になっていた場面で、なぜか冷静に状況を俯瞰している自分を発見します。
どうでも良いことにいちいち感情が反応しなくなると、無駄なエネルギーの浪費が抑えられ、本当に大事なことに自分の力を使えるようになります。
新しい関係性を築ける
部下との面談で、相手の言葉の奥にある本当の気持ちが見えるようになる。家族との会話で、いつものパターンではない、新しい関係性が生まれる。
こうした変化は「感情的にならなくなる」とも連動して、生活の質、仕事の質を圧倒的に向上させます。
深いストーリーを理解できるようになる
同じ映画を見ても、同じ本を読んでも、以前とは違うレイヤーの奥深いストーリーが見えてくるようになります。
具体的には表面的な面白さの奥に、作り手の意図や時代背景、人間の普遍的な営みに対する洞察が浮かび上がってきて、より、味わい深く作品を楽しめるようになります。
人生の選択肢が増える。
これまで「正解はこれしかない」と思っていた場面で、第三の道、第四の道が見えるようになります。
白か黒かの二択だった世界が、グラデーションに満ちた豊かな世界に変わると、これまで、すぐに判断しなければならないと思っていたものも、状況の変化を待ったりできるようになり、人生に焦らなくなります。
人生に焦らなくなると、人から焦らされることもなくなり、他人のストーリーに巻き込まれることも減ってきますね。
「揺るがない軸」のようなものが育つ
そして、最終的には、自分の中に「揺るがない軸」のようなものが育ってきます。
周りの評価や一時的な感情に振り回されることが減り、自分なりの価値基準で物事を判断できるようになると、そこにはもう学びと他者への貢献しかありません。

いかがでしょう?
これらすべてが、哲学者たちの思考パターンを「ただ使った」だけの結果です。
深く理解しようとしなくても、鋭く議論しようとしなくても、ただ日常に取り入れるだけで、これほどの変化が起こります。
まさに「きわめて格調の高いチート行為」とも言えましょう。
問いを立てる力が、世界を変える
そして、こうして哲学/教養を使っているうちに、いつのまにか、あなたの中で大きく変化している能力に気づきます。
それは、問いを立てる能力です。
たとえば、こんなことが起こるようになります。
以前なら「どうやって売上を上げるか?」と悩んでいたけれど、いつの間にか「そもそも、なぜこの商品が必要なのか?」と問えるようになったり。
昔なら「この部下をどう動かすか?」と苦労していたけれど、いつのまにか「この人は何を大切にして生きているのか?」と問いかけるようになったり。
これは、本当に魔法のような変化です。
問いが変わった瞬間、見える景色が変わります。見える景色が変わると、打てる手が変わります。打てる手が変わると、成し遂げられることが劇的に変わります。
そう、哲学者たちの思考パターンは、それに乗っかっているだけで「問いを立てる力」を格段に高めてくれる特別なツールです。
「巨人の肩に乗る」というチート技
2500年分の天才たちが編み出した「問いの型」を、わたしたちはそのまま借りて使うことできます。そこに著作権はありません。
- 表面的な課題の奥にある本質を射抜く問い。
- 相手の立場に立った問い。
- 未来を見据えた問い。
これらすべてが、すでに「公式」として用意されています。
使った瞬間から、あなたの問いの質が格段に上がる魔法のツール。
- 一人では絶対に思いつかなかったアイデアが湧いてくる。
- チーム全体が同じ方向を向く。
- 組織に新しい価値が生まれる。
3年前なら解決不可能だった問題が、今では「そもそもこれは問題なのか?」という一つの問いで消えてしまうことがある。
これが、問いを立てる力に特別なツールを装備した時の威力だ。
肩の力を抜いて、でも本気で。
そんなスタンスで哲学者たちの「問いの公式」を使い続けることで、あなたは世界を変える問いを立てられる人になっていく。
それは周囲の人々にとって頼りになる存在であり、組織にとって欠かせない存在であり、そして何より、自分自身にとって誇れる存在となることでしょう。
これが、現場にいる大人だけが味わえる知性の楽しみ方です。
カジュアルに、でも確実に。